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名古屋家庭裁判所 昭和47年(家)1794号 審判

申立人 名古屋市

右代表者 杉戸清

○○短歌会

右代表者 阿部圭子(仮名)

高野聖治(仮名)

被相続人 亡柏葉こう(仮名)

主文

被相続人柏葉こうの相続財産につき

申立人名古屋市に対し

○○信託銀行株式会社貸付信託受益証券信託元本一、〇〇〇万円(第七四回B号、B五第五六四号)、同信託元本一〇〇万円(第九二回B号、B五第五七六号)なる貸付信託上の権利およびこれらの収益分配金を

申立人高野聖治に対し

○○信託銀行株式会社貸付信託受益証券信託元本一〇〇万円(第一〇二回F号、F二第一四七号)なる貸付信託上の権利およびこの期限後収益、現金一八七万七、〇一四円、歌集「○○」二冊、同「○○天皇」八七冊(うち七冊は乱丁)、屏風(与謝野鉄幹、同晶子の短冊貼付のもの)一本、○○漫筆等の遺稿をそれぞれ分与する。

申立人○○短歌会の申立を却下する。

理由

一  申立人等は被相続人柏葉こうの相続財産について、それぞれ被相続人とのいわゆる特別縁故を理由とする分与の審判を申立てた。

そこで当裁判所が調査、審問したところによれば、つぎの事実を認めることができる。

(一)  被相続人は明治一七年一〇月二二日柏葉善蔵、ゆきの二女として、名古屋市○○町○△△△番屋敷に生まれ、明治三七年七月五日家督を相続、明治四四年七月七日高野完と入夫婚姻、昭和一六年九月二〇日完死亡により再び家督を相続し、昭和四六年一月二〇日名古屋市○区○△丁目△△番△△号名古屋市短歌会館において死亡した。

被相続人と夫完の間には子供がなく、兄光太郎は明治三七年五月二五日、二一歳で、姉いねは明治二九年五月一九日一六歳で、それぞれ死亡している。また、被相続人は昭和三三年四月一六日郡司朋秀を養子に迎えたが、昭和三四年五月二五日同朋秀と協議離縁し、相続人は存在しない。

そこで、名古屋市において、昭和四六年二月一六日当庁に相続人不存在による相続財産管理人の選任を求め、(昭和四六年(家)第四五九号)、昭和四六年三月二四日名古屋市○区○○町△△番地弁護士梨本克也が管理人に選任された。爾来、同管理人において管理事務が遂行され、昭和四六年六月二四日相続債権者受遺者への請求申出の公告がなされ、さらに同管理人からの相続権主張の催告公告の申立(昭和四六年(家)二一〇〇号)により、当裁判所は昭和四六年九月一三日(同年九月二八日出生場所につき訂正公告)同公告をなしたが、催告期間が満了した昭和四七年四月一日までに相続権を主張するものはあらわれなかつた。

そして、申立人等は上記催告期間満了後三ヶ月以内に適法に本申立に及んだ。

(二)  被相続人は二〇歳のころ、故大口鯛二氏について和歌の道を学びながら、青鞜社の社員として和歌の投稿をつづけ、大正七年宮中の御歌会に入選し、女流歌人として名古屋歌壇にゆるぎない地位を確立、大正八年○○短歌会の前身である「○○会」を創立し、以来、○○歌人会、○○会、○○会、○○会の会員、客員または指導者として、和歌の道一筋の一生を送り、短歌に対する貢献で昭和四三年勲五等瑞宝章に叙せられた。

この間大正二年に歌集「○○」、昭和三九年に歌集「○○天皇」を出版し、○○短歌会の機関誌として短歌誌「○○」を発行していた。

(三)  被相続人は晩年自己の財産を公共の用に供することを考え、昭和三六年ごろから、自己の文化活動の遺産として、名古屋市民の文化の向上に資する会館を建設し名古屋市へ寄付したいとの構想を持つていたが、昭和三八年秋同市長の内諾を得、同市の協力の下に昭和三九年二月着工、名古屋市短歌会館を完成、昭和三九年一〇月五日、宅地二五七・九五平方メートル、鉄筋コンクリート造地下一階地上三階塔屋一階建築延面積六一七・七一平方メートル、並びに、電話加入権一回線(当時の時価約六〇〇〇万円)、また、昭和三九年暮ごろ自己所有の短歌関係の蔵書一切約一、五〇〇冊を柏葉文庫の名で、さらに、昭和四五年一〇月香道具、香の書物(当時の時価約三〇万円)をそれぞれ名古屋市に寄付した。

(四)  名古屋市短歌会館の寄付をうけた名古屋市は、その報恩の一端として被相続人を同会館の嘱託管理人として採用、同会館一階奥の一室を与え、毎月一万円の謝金を支給、さらに専属職員を二名採用し、同人の身の回りの世話と同会館の管理運営にあたらせ、また、柏葉文庫についてもロッカー等を購入し、被相続人および○○会の会員と協力し、図書目録の整理を行なつてきた。

(五)  被相続人の葬儀は、本件申立人の一人である高野聖治を喪主として、名古屋市教育委員会社会教育課管理係が担当し盛大に営まれた。

(六)  上記のように被相続人は、○○短歌会を主宰、短歌誌「○○」を発行し歌道の興隆と後進の指導育成に努めてきたものであるが、被相続人の死亡後、その指導を受けた阿部圭子ほか一半のものが、昭和四六年八月八日、「○○短歌会規約」をあらたに作成し、被相続人が生前主宰していた○○短歌会と同様の名称の短歌会を作り(同年八月一五日から発足)、阿部圭子がその代表者となつた。これが本件申立人短歌会である。

そして、申立人短歌会の会員有志は被相続人の一周忌の法要を行ない、被相続人の死後廃刊されていた短歌雑誌「○○」を再び発行し、昭和四七年二月二七日名古屋市に対し被相続人の胸像を寄付、同胸像は名古屋市短歌会館内に安置された。

しかしながら、申立人短歌会の会員は、被相続人の弟子全員が参加したものではなかつた。被相続人の生前主宰、発行していた○○短歌会、短歌誌「○○」の各存廃、被相続人の胸像の寄付などについて上記阿部圭子ら申立人短歌会の会員と意見を異にした弟子たちは別個に「○○会」(のちに「○の会」

と改称)と称する短歌会を作つた。

(七)  申立人高野聖治は被相続人の亡夫完の実弟(姻族二親等)であるが、被相続人と生活を共にしたり、

経済的援助または療養看護にあたつたことはなかつた。

しかしながら、被相続人が若くして血縁を失つたこと、また、申立人高野聖治が幼なくして母を失つたことから、被相続人は申立人高野の母親代りとなつて同人を我が子のように可愛がり、同成人後も家族同様の親密な交際を続けなにくれとなく相談相手となつていた。

このような関係から申立人高野聖治は被相続人を母のように敬愛し、被相続人が上記短歌会館を建設してその蔵書(柏葉文庫)とともにこれを名古屋市に寄付するに際しては、その相談相手となるばかりでなく、約六〇万円を投じて柏葉文庫の一部に収納されるべき書物を購入、これを被相続人に贈つて同文庫の充実をはかるなど、被相続人の文化活動に協力し、また被相続人の晩年には受勲の際参内に付き添い、墓参に連れてゆくなど被相続人の最も頼れる親族の一人となつた。

また、被相続人の葬儀に際してはその喪主となり、後に祭祀を承継し(仏壇は被相続人の菩提寺である○○寺に保管を依頼)、被相続人の三五日、初盆、一周忌などの法要をつとめ、今後も被相続人を含め柏葉家の法要をつとめることを決意している。

さらに、被相続人の遺稿、とくに被相続人が何人にも見せなかつたその分身ともいうべき、歳時記風に記された明治三七年から昭和四五年までの七〇年間の日記(以下○○漫筆という)の散逸を防ぎ、これを後世に残すことを決意し、その一部をコピーにとり、上記「○の会」の会員に万葉仮名を当用文字に書き直す作業を依頼し、目下これが続行中である。

(八)  本件相続財産としてはつぎのものがある。(昭和四八年一月三一日現在)

1  貸付信託

○○信託銀行株式会社貸付信託受益証券

(1) 一、〇〇〇万円券(元本償還の時期昭和四八年九月二〇日

第七四回B号B五第五六四号)

(2) 一〇〇万円券(元本償還の時期昭和五〇年三月二〇日

第九二回B号B五第五七六号)

(3) 一〇〇万円券(元本償還の時期昭和四八年一月二〇日

第一〇二回F号F二第一四七号)

2  現金 一八七万七、〇一四円

3  歌集 「○○」二冊、同「○○天皇」八七冊(うち七冊は乱丁)

4  屏風(与謝野鉄幹、同晶子の短冊貼付のもの)一本

5  ○○漫筆等の遺稿

二  つぎに申立人らが被相続人の特別縁故者に当るかどうかについて検討する。

1  申立人名古屋市について、

同申立人は、地方公共団体で、上記事実関係に照らすと民法九五八条の三に例示する「被相続人と生前生計を同じくした」ことはなく、またその「療養、看護に努めた」こともないことが明らかである。

しかしながら、被相続人が相続人のないことを考え、自己の財産を私しないでこれを自己の文化活動の遺産として公共の用に供し、名古屋市の文化の向上に役立てたいとの念願から多額の財を投入して名古屋市短歌会館を建設して、これを自己の精神、文化活動の糧ともいうべき蔵書等とともに同市に寄付している上記事実関係に照らすと、被相続人はその生前から自己の財産の殆どを贈るにふさわしいもの、そしてまたこれを自己の文化遺産として永く活用してくれるものと考えていたことが推測される。

しかも、被相続人から上記寄付を受けた名古屋市は、これに報いるため被相続人を同市の嘱託として採用し、短歌会館の一室を被相続人の居所に提供し、同人の身の回りの世話を兼ねた同会館管理の職員を配置し、被相続人には月額金一万円の謝金を支給するなど、被相続人の日常の生活について万々の配慮をする一方、その短歌を中心とする文化活動にも支障のないよう種々配慮し、被相続人にとつて名古屋市はその晩年における最も大きな支柱となつたであろうことは、上記事実関係から充分窺うことができる。

以上の事情からみると、名古屋市と被相続人との縁故はなんら自然人のそれと異るところがなく、同市を被相続人の特別縁故者と認めるのが相当である。

2  申立人高野聖治について

同申立人は、被相続人の亡夫完の実弟であるが、被相続人と生計を同じくしていたこともその療養看護に努めたこともなかつた。

しかしながら、同申立人の成育期における被相続人との間の母子にも似た親密な触れ合い、同申立人が被相続人の文化活動、ことに同人の名古屋市に対する短歌会館、柏葉文庫などの寄付につきそのよき相談相手となつたばかりでなくこれに協力したこと、また被相続人の晩年にはその最も頼れる親族の一人となつたこと、さらに被相続人の死後その祭祀を承継して法要をつとめるほか、被相続人の遺稿の散逸を防ぎこれを後世に残すため、被相続人の弟子たちとともにその整理にとりかかつていること、被相続人を含む柏葉家の供養をつとめるものとしては、同申立人以外に他に適当なものが見当らないことなど上記事実関係からみると同申立人を被相続人の特別縁故者に該当するものと認めるのが相当である。

3  申立人○○短歌会について

上記の事実関係から明らかなように、申立人○○短歌会は、被相続人の死後、その弟子の一半をもつてあらたに組織されたものであつて、被相続人がその生前に主宰していた○○短歌会とはその呼称を同じくしていても人格的には必ずしも同一ではない。この間の事情をさらに付け加えるならば、調査、審問の結果によると、被相続人の生前に主宰していた○○短歌会は被相続人に依存するところが余りにも大きく、規約らしい規約もなく、もつぱら被相続人を中心にして動いていたもので、同会で発行する短歌誌「○○」も、その呼称は被相続人みずからの発想になり、被相続人みずから発行人兼編輯人となつていたこと、しかも、被相続人はその生前に「○○」の呼称は自己一代かぎりとし、「死後なんびとにも使用してもらいたくない」としばしば洩らしていたことなどの事情が認められる。これを端的にいえば被相続人即○○短歌会といつても過言ではない。そして、被相続人の死後、同人が発行していた短歌誌「○○」が廃刊となつたが、その続刊等の問題をめぐつて弟子たちの間で見解が分れ、一半の弟子たちが申立人短歌会、他の弟子たちが「○○」(後に「○の会」に改称)とそれぞれの会を作つたこともその間の事情の一端を物語るものといえよう。

そうすると、被相続人がはたして今日の申立人短歌会の存在を予測し、これを自己の財産或いは文化的遺産を贈るにふさわしいものと考えたであろうか、疑問がないとはいえない。

もつとも、被相続人が自己の精進してきた歌心をその弟子たちが承け継いでくれるものと期待していたことは充分推察され、申立人短歌会および「○の会」の各会員もそれぞれ弟子として被相続人のこの期待に応えるため短歌の研究に努めているものであることも同様に推察される。

しかしながら、被相続人とこれら弟子たちとの間柄はいわば師弟の関係に止まり、これらの弟子たちを会員とする申立人短歌会および「○の会」との関係も特段の事情のないかぎりその域を出ないものと考えられる。

申立人短歌会が上記のように被相続人の一周忌の法要をつとめたり、胸像を寄付したとしても、それは会員有志の被相続人に対する報恩、感謝の気持のあらわれと考えられ、これをもつて被相続人との間に特別の縁故があつたとするには足らない。

その他、被相続人と申立人短歌会との間に特別縁故があると認めるに足る資料がない。同申立人の本件申立は理由がない。

三  そこで、特別縁故者として認めた申立人名古屋市及び同高野聖治について、分与すべき財産とその程度につき判断する。

(一)

1 申立人名古屋市は

(1) 被相続人が同市に寄付した名古屋市短歌会館の施設の充実を図るため、同館の冷房工事と一部換気工事に要する経費として金七〇〇万円~一、〇〇〇万円

(2) 被相続人の顕彰と市民文化向上に寄与する事業として金三〇〇万円~五〇〇万円

2 申立人高野聖治は

(1) 柏葉家の永代にわたる供養として金一〇〇万円

(2) 柏葉家墓碑四基を一基に取りまとめ、墓側に顕彰碑を建て、除幕、被露併せて三回忌の法要を営むための費用として金一〇一万七、〇〇〇円

(3) 被相続人が記した○○漫筆等の遺稿とともにこれを文化的遺産として後世に伝えるための費用として不充分ではあるがとりあえず金一五〇万円

の分与をそれぞれ求めている。

(二) 被相続人が名古屋市民の文化の向上に資する目的で建設された名古屋市短歌会館および柏葉文庫の永続的管理およびその整備、充実は被相続人が生前から祈念していたところであつて、それにかなりの出費も予想されるので、相続財産のうち○○信託銀行株式会社貸付信託受益証券信託元本一、〇〇〇万円(第七四回B号、B五第五六四号)、同信託元本一〇〇万円(第九二回B号、B五第五七六号)なる貸付信託上の権利およびその収益分配金を名古屋市に分与するものとする。

(三) ○○漫筆などの遺稿については、これを評価する者の価値観の相異によつて評価がまちまちとなり、客観的評価は殆んど不可能と思われるが、それは被相続人の歩いた貴重な人生の記録であつて、いわば被相続人の分身とも考えられるので、これを散逸させるに忍びず、被相続人の社会的評価からみて、これをその相続財産とみるのが相当である。

そして、さいわいにも、申立人高野聖治のほうでこれを保管し、後世に残すべくその整理作業にとりかかつているので、これを一応、申立人高野聖治に分与することとする。

ただ、その整理完了の暁には、同人において名古屋教育委員会社会教育課、○○短歌会、○の会と協議のうえ最終的帰属を決めることがのぞましい。

また、歌集「○○」二冊、同「○○天皇」八七冊(うち七冊は乱丁)、屏風一本も申立人高野聖治に分与するのが相当と思われる。

なお、申立人高野聖治には上記被相続人の遺稿整理のための費用、ならびに被相続人の祭祀承継者として被相続人を含む柏葉家の供養をつとめ、あるいは柏葉家の墓碑を整理する費用等としてかなりの出費が予想されるので相続財産のうち、上記信託銀行株式会社貸付信託受益証券信託元本一〇〇万円(第一〇二回F号、F二第一四七号)なる貸付信託上の権利およびこの期限後収益、現金一八七万七、〇一四円を分与することとする。

よつて主文のとおり審判する。

(家事審判官 至勢忠一)

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